土肥金山の歴史

- 建徳・文中・天授(一三七〇年代)の時代、足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し、盛んに金を掘ったのが土肥金山の始まりと伝えられる。
- 天正五年(一五七七年)土肥の大横谷、日向洞、楠山、柿山、鍛冶山等五ヶ所を開発、この頃より土肥の金山が本格的に採掘される。
- 慶長六年(一六〇一年)徳川家康が伊豆の金山開発に力を注ぐ。
- 慶長十一年(一六〇六年)幕府金山奉行大久保石見守長安が伊豆の金山奉行も兼ね、掘削方法、水抜き方法等の新技術を導入し産金量を増大させたので、土肥の金山は隆盛を極め、街には人家が軒を並べ、土肥千軒と称したと云う。
- 慶長十八年(一六一三年)大久保石見守長安が没し、伊豆金山奉行は市川助衛門となるが、元和六年(一六二〇年)に没するやその後、土肥の金山は衰退し寛永二年(一六二五年)には休山となる。
- 明治三十九年(一九〇六年)神戸の実業家長谷川氏が外国人技師を招へい探鉱を行い成功する。
- 大正六年(一九一七年)長谷川氏が発起人となり土肥金山株式会社を設立する。
- 昭和四〇年(一九六五年)鉱量枯渇のため閉山する。
- 昭和四七年(一九七二年)社名を土肥マリン観光株式会社に変更し、坑内の一部を観光坑道として整備し、一般観光客に公開している。
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